刊行物

武蔵野文化協会ニュースレター第3号(2021.11.1)

           「甲野勇 くにたちに来た考古学者」を見る
 編年学派三羽烏の一人と言われ、武蔵野文化協会でも活躍した甲野勇の業績回顧展である。
 戦中の戦争協力要請圧力のなかで考古学が難しい立場に置かれた時代にも時流と距離を置いて乗り切り、戦後は友人の山内清男が脚光を浴びる中、ひたすら在野の研究者としての立場を崩さなかった甲野の生涯を、①博物館をつくる、②次世代へつなぐ発掘調査と指導、③くにたちと甲野に区分して解説している。
 ①博物館をつくるでは驚嘆すべき量と質の業績に驚く。この展示から新たな発見をした方も多かろう。古い写真に筆者がお世話になった東京都の渡辺武雄さん・丸山孝さんを見つけて感慨深かった。彼らの献身的なジオラマ製作等なくして甲野の武蔵野博物館は成立しえなかったからである。解説文によれば甲野はスカンセンを訪ねていないらしい。あの独特の雰囲気を味わってもらいたかったと残念に思う。甲野資料の一部はくにたち郷土文化館ウェブサイトでもみられる。
 ②の発掘と教育の展示では、「科学的な古代史には、考古学的な事実が必要」という彼の持論が遺憾なく示されている。
 ③をみて、甲野はなぜ国立に長く住み続けたのであろうかと思った。 日本にゲッチンゲンのような大学都市を創ろうとした国立のまちづくり思想に共鳴したのだろうか、リベラルな住民の存在を評価したのであろうか。学芸員によれば「くにたちの自然」が彼を虜にしたからとあったが、同時に、晩年には「さらなる自然の地へ」と武蔵野西郊に土地を探していたとも聞いた。武蔵野に生き、考古学に人生をささげた甲野は66歳で世を去った。しかし、残された8600点の資料と業績は今も燦然と輝いている。           (樋渡 達也)


武蔵野文化協会ニュースレター第3号