見学会(紙上例会)

6月誌上例会「明治神宮100年の社叢を探る」

樋渡達也(会員)

明治45年7月30日、明治天皇が亡くなられて御陵は伏見・桃山に決まりました。東京に、陵墓にかわるものを設けたいという声にこたえて「神宮奉祀調査会」が設けられ、明治神宮の造営が決まりました。
神宮の土地の決定までは大変でした。青山練兵場など東京だけでなく、富士山、筑波山、箱根など多くの候補地が検討され、そのなかから南豊島郡御料地が選ばれました。理由は明治天皇がお気に入りの土地であり、当時としては閑静な別天地であったからです。
大正4年には「明治神宮造営局」ができ、本多静六などの専門家が集められました。

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